長野県飯田市の地域おこし概要 (2005.5.20事前調査)

 

飯田市(人口10.6万人)は長野県南部伊那盆地の南半分を占める下伊那地方の中心都市である。長野県は山間の県であるため、信州大学も長野市松本市にわかれるなど、分散的な県であるが、中央アルプスと南アルプスに挟まれた盆地にある伊那地方も昔から群雄割拠体制にあり、今日でも伊那市6万人)や駒ケ根市3万人)を中心とする上伊那地方とは余り交流がないという。下伊那地方18市町村はそれ自身自給自足的な生活圏を構成してきた。かつては天竜川の輸送を通じて遠州・三河との結びつきの方が強かったが、自動車が主流になってからは、とくに1975年(昭和50年)に中央自動車道が開通してからは、名古屋まで1時間半で行けるようになった(ただし合計11km3連続トンネルを通って岐阜県中津川市に出る)。諏訪経由で東京までも3時間で行ける距離である。

 下伊那地方18市町村(1314村)人口は18万人。中心都市の飯田市10.6万人。市内325?、14地区のうち市街地は飯田地区の2万人プラスで、あとは近郊の農村部を抱える典型的な地方都市である(土地利用は宅地6%、田畑14%、森林面積18%、その他保安林等57%。標高は500m2363m)。郊外の飯田インター付近には新たな市街地が形成されてきている。高速道路開通と合わせて、前年の1974年に市の市街地に2つのスーパーができた(西友とユニー)。その後平成に入って郊外大型店の全国展開の波は飯田市にも訪れ、郊外にサティ、アピタ、ジャスコの3ショッピングセンターがいずれも1000台規模の駐車場を伴って進出。西友は閉店した。

 企業では、三菱電機中津川工場飯田分工場(太陽電池パネル製造)、京都に本社があるオムロン飯田、トヨタやシチズンの部品工場があるほか、伝統的な中小企業が展開する。なかでも水引(http://www.f-mizuhiki.co.jp/)は全国シェア70%をもち、凍り豆腐、和菓子(http://www.dinos.co.jp/s/p269501/など)、地酒(喜久水など

http://www.kikusuisake.co.jp/、漬物などの地場産業が展開する。

 教育では、4普通高校、3実業高校、1私立女子高がある。かなりの卒業生は出て行く。人口は2度の合併で少し増えたほかは一貫して自然増を維持する程度である。65歳以上の高齢者は24.3%。年齢層別人口構成は「ずん胴型」である。近年は周辺町村の高齢者が利便性を求めて飯田市に移り住んでくる傾向があるという。3年前の住民意識調査では、医療・福祉もあるが道路や下水の基盤整備の要求はなお強い。市の中心への利便性を求めて、道路の拡幅や曲がりくねった道の直線化などの要求である。現在市の中心から一番遠い端までは車で40分弱かかる。下水道は下水管を通して一括処理型がなお中心だが、隣の下條村では95%を浄化槽(補助金型)にして予算を節約し、全国的に注目されているという。

 農家民宿は過疎化していく高齢者農家のいきがいづくりから始まった。その統括をする南信州観光公社は、飯田市役所が中心になって人と資本金を出し、交通関係の会社で働いてきた人を雇い、下伊那郡全18市町村と一般をも株主とし、第三セクターとして出発した。基本方針は3つある。①体験教育旅行で子どもをつかむ(=将来のリピーター)、②食文化を伝える(伝統食、農家の伝統食。千葉大学の先生を中心に「アグリ大学院」を開設)、③ワーキングホリデーで、農繁期の51011月に農作業を手伝う農家民宿。宿泊と食事は提供するが謝礼は出さない。

体験教育旅行では学校の修学旅行を受け入れ、1泊は民宿、1泊は当地の旅館に泊まってもらうというコンセプトで(観光業者と競合しないように)やっている。民宿の場合、基本は自炊でキャンプのようにやってもらう。食事を出す農家民宿は4軒だけということであった。1996年に6校からはじめて03年には2203.5万人を受け入れ。日本政府の「Visit Japan」政策に乗って外国にも宣伝し、台湾の高校修学旅行も数校来るようになったという。「常時7-8校はいってくる」と、観光公社の高橋充支配人はとても忙しそうであった。

 飯田市のスローガンは「環境文化都市」。環境では、1947年(昭和22年)の大火のあと、町の中心に建設された「りんご並木」(今日まで小学生が管理)。日本名水百選、日本棚田百選があり、全国一の生産量をもつ市田柿や、りんご、なし、梅、天竜川などに象徴される。文化では市の美術博物館や、博物館に隣接する(東京の自宅を移築した)柳田國男記念館や、毎年開催される「いいだ人形劇カーニバル」や「アフィニス夏の音楽祭」に代表される。(http://www.city.iida.nagano.jp/puppet/outline/supporting/index.html

http://www.affinis.or.jp/summer/Welcome.html

 「環境文化都市」は、公募による市民参加でたちあげた「21飯田まちづくり会議」で20回の検討を重ねた結果として、「第4飯田市基本計画」(19962005年)のメインスローガンとなった。71日は当時の計画作りの担当者から「市民参加」の実際と実施上の諸問題について、話をしてもらう予定である。14地区それぞれにある公民館を拠点とした参加型の活動も飯田市の地域づくりの大きな特徴である。 

 

 

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